毒親に育てられた子供が幸せな家庭を築くまで

私はいわゆる毒親に育てられた子どもです。その影響から長い間辛い人生を歩んできました。けれど、そんな私も結婚し、負の連鎖を起こすことはしないと決意しました。現在では妻と長男と幸せな家庭を築いています。私の経験が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。

克服するためのきっかけを掴もう【アダルトチルドレン克服】

毒親の支配から抜け出したい、けれども努力が続かない。」

 

「今の自分を変えたい。でも、何のために頑張らなければいけないか分からない。」

 

このような状態に陥っていませんか。

 

自分を変えることはとても大変なことです。

 

どんなに現実が苦しくかったとしても、今の自分のままでいる、ということは実は楽なことです。

 

ただ漠然と「辛さから逃げ出したい」というモチベーションだけでは、きっと自分を変えることは困難でしょう。

 

かつての私がそうでした。

 

今回は私がどのように毒親の支配から抜け出すためのきっかけを掴んだかについて書いていきたいと思います。

 

 

苦しいにも関わらず、ダメな自分を変えることができなかった

 

私は機能不全の家族で育ったため、良くない人間関係のパターンを持っていました。

 

社交的な場が苦手で、集団では孤独を感じ、心の底から友達と思える人ができず、周りと友好な関係を築くことができませんでした。

 

学校ではクラスに馴染むことができず、バイトをしても人間関係の弱さから怒られ続けていました。

 

辛い思いや嫌な思いをする度に、

 

「こんな自分を変えたい。」

 

「もっと周りから認められるようになりたい。」

 

と強く願っていました。

 

そして勉強をしたり、態度を変えて社交的に振る舞おうとしたり、様々な試みをしました。

 

けれど、そのほとんど全ては失敗に終わりました。

 

なぜでしょう。

 

例えば、仕事で怒られ続ける自分が嫌で、

 

「消極的だからいけないんだ。もっと積極的に話しかけて、明るく元気でいよう。」

 

そう思い立って実践したことがあります。

 

数日間はそのような態度で振る舞うことができます。

 

けれども、数日も経つとしんどくなってきます。

 

そして、このような考えが頭をよぎります。

 

「なぜ嫌な思いをしてまで頑張らなくてはいけないんだ。」

 

そんな疑問を抱えながらも、もうしばらく踏ん張り続けます。

 

そして、大抵こういったタイミングでまた嫌なことが起こります。

 

仕事で失敗したり、上司の逆鱗に触れたり。

 

すると、今まで溜め込んでいたストレスや不満が堰を切ったかのように頭の中に溢れ出します。

 

「結局努力したって何も変わらない。こんなことしたって意味がないじゃないか。」

 

こうして努力することを放棄し、また元の自分に戻ってしまいます。

 

習慣の引力について理解しよう

短期的に自分の振る舞いを変えることはできても、本質的な部分で自分を変える、ということはとても難しい作業です。

 

それはちょうど、一時的なダイエットに成功した方の多くがリバウンドを経験してしまうようなものです。

 

この点について、私が愛読している

 

7つの習慣 人格主義の回復 [ スティーブン・R・コヴィー]

 

には、次のように記されています。

 

『習慣は太い縄のようなものだ。毎日一本ずつ糸を撚り続けるうちに、断ち切れないほど強い縄になる』(p47)

 

『習慣の引力は非常に強い。ほとんどの人が考える以上の強さである。先送り、短気、批判、わがままなど、に人間の効果性を支える基本の原則に反する癖が根付いてしまっていたら、ちょっとやそっとの意志の力ではとても断ち切れない。生活を多少変えるだけで断ち切れるものではない。「リフトオフ」には並外れた努力が要る。』(p48)

 

つまり、急激なダイエットにより一時的に体型を変えることはできても、本質的な食習慣や運動習慣が変わらなければ、いずれ元の自分に戻ってしまう、ということです。

 

今現在の私たちという存在は、これまでの人生で培ってきた習慣によって形成されています。

 

例えば私の場合、機能不全の家族で育った17年間の習慣が一本一本縄のように撚られており、それが合わさって強力な縄、つまり強力な習慣として自分の中に根付いている、ということです。

 

その強力な習慣を断ち切るためには、思いつきで表面的な態度を変える程度では不十分であり、自分の本質的な部分にアプローチをかけていく必要があります。

 

きっかけは妻との出会いだった。

私は「苦しみから抜け出したい。」と切に願いながら、どうしても習慣の引力から抜け出すことができませんでした。

 

習慣を断ち切るだけの、強い意志と忍耐力が持てなかったからです。

 

そんな私に転機が訪れます。

 

それは、妻との出会いでした。

 

私は様々な偶然が重なり、運よく妻と付き合えることになります。

 

20代半ばの頃でした。

 

私にとって心の底から欲しいものが手に入った経験はこれが初めてでした。

 

この時人生で初めて

 

「この人だけは何があっても失いたくない。」

 

と思いました。

 

この強烈なモチベーションが後に自分を変えることに成功するきっかけとなりました。

 

本当に欲しいものがある時、人は自分を変えることができる

幸運にも妻と付き合えることになった私ですが、残念ながらドラマのように劇的に自分が変割ることはありませんでした。

 

しかし、一つ変わった点がありました。

 

それは、チャレンジしてうまくいかなかった時に、

 

「どれだけ失敗しても妻だけは諦めたくない。」

 

というマインドが働くようになったことです。

 

思い返してみると、過去の私は自分を鼓舞するものを持っていませんでした。

 

「どうせうまくいかない。もうどうでもいいや。」

 

こういった諦めの気持ちから努力することを放棄していました。

 

それが大切な人を失いたくない、という強いモチベーションによって踏ん張ることができるようになったのです。

 

その後、何度も何度もうまくいかない期間は続きました。

 

自分が変わるためには一体どれほどの月日がかかるのだろう、と絶望したことも数えきれないくらいありました。

 

こうした試行錯誤の末、3、4年の格闘の後、私は無事に妻と良好な関係を築くことに成功し、無事に結婚することができました。

 

新しい習慣を確立すると世界が変わる

悪い習慣の引力から抜け出すとどのようなことが起こるのか。

 

この点について

 

7つの習慣 人格主義の回復 [ スティーブン・R・コヴィー]

 

には、次のように記されています。

 

『引力からいったん脱出できれば、まったく新しい次元の自由を手にできるのである。』(p48)

 

例えば私は妻と良好な関係を築くため、自分を変える努力をし続けた結果、感情的にならず理論的に人と関わる術や人に対して肯定的な言葉かけをする習慣を身につけました。

 

このことは言うまでもなく私の人生において大きなプラスの影響を与えています。

 

例えば、良くない生活習慣から肥満体型になっている人が、良い生活習慣を身につけ標準体型を維持できるようになったとすると、それはただ単に体型の変化以上の恩恵があります。

 

良い生活習慣は集中力を向上させ、体調を良くし、ポジティブな感情でいる時間が長くなるでしょう。

 

それは人生にとって大いにプラスに働くものです。

 

それと同様の変化が私にも訪れました。

 

以前は人と良好な関係を築くことが難しかった私ですが、今では大抵の人とは良好な関係を維持することができます。

 

しかもそれは、特別な努力を必要とせず、自然な自分でいることで自然に人と関係を築くことができます。

 

自分の真に欲しいものときちんと向き合うこと

私はこの経験をきっかけに掴んだ一つの真実があります。

 

それは、

 

「本当に欲しいもののためであれば、人は変わることができる。」

 

ということです。

 

この時から私は自分の心と真剣に向き合うようになりました。

 

「私が本当に欲しいと願っているものは何か。」

 

「私が本当に仲良くなりたい人は誰か。」

 

「私が本当にしたいことは何か。」

 

思い返すと、毒親に否定され続けて育った私は本心に蓋をしてばかりでした。

 

例えば仲良くなりたいグループがあるのに、

 

「どうせ自分なんか入れてくれない。」

 

そう考えて、アプローチすることを諦めていました。

 

本当はバンドをしたかったのに、

 

「自分の柄ではない。」

 

そう考えて、特に好きでもないテニスを続けていました。

 

本心に従うことのパワーを知った私は、それ以降勇気を持って自分の心に従うことに決めました。

 

知り合いになりたい、と思った人には自分から積極的に声をかけるようにしました。

 

好きではなかったテニスは辞めて、バンド仲間を集めることにしました。

 

その結果、本当に友達になりたい人が私の周りに集まりはじめ、本当にしたいことが私の周りに増えはじめました。

 

自分にとってのきっかけを掴もう

私から皆さんにお伝えしたいことは

 

「自分の真に欲しいもの、したいことを大切にしよう。」

 

ということです。

 

私の場合きっかけは幸運にも転がり込んだことなので偉そうなことは言えませんが、それはとても大切なことだと今は思います。

 

何度も言いますが、自分を変えることは大変なことです。

 

そして悪い習慣を断ち切るためには、苦しみに耐えるためのモチベーションが必要です。

 

アダルトチルドレン毒親に自分の大切なものを奪われることが習慣となっており、自分を犠牲にしてしまいがちだと思います。

 

自分を犠牲にし続けている間は幸せは訪れません。

 

どうかまず自分を大切にすることから初めていただければと思います。

 

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家族の問題について周りに相談しよう【アダルトチルドレン克服】

機能不全の家族で育った方の中には、

 

「家族の問題について誰かに話したいけれど、周りに話してはいけない気がする。」

 

「家族の問題について相談すると、親が逆上して酷い目にあわされる気がする。」

 

「家族の問題について誰かに相談することは、恥ずかしいことだ。」

 

などと考える人が少なくないのではないでしょうか。

 

私の場合はそうでした。

 

自分の家の問題について誰かに相談することは、漏らしてはいけない秘密を暴露するような気になり、なかなか周りの人に相談ができませんでした。

 

しかし、自分の家族の問題や、自分が抱える問題について相談することは、問題を解決するために重要な方法の一つです。

 

今回の記事では、なぜアダルトチルドレンは周りに相談ができないのか、相談することにはどのようなメリットがあるのか、そして、どのように相談相手を見つけていけばいいのか、等について私なりの見解を書いていこうと思います。

 

 

なぜアダルトチルドレンは周りに相談ができなくなってしまうのか

まず最初に、なぜ私たちアダルトチルドレンは自分の家族の問題について、周りに相談できなくなってしまうのでしょうか。

 

これにはお決まりのパターンがあります。

 

それは毒親による真実のねじ曲げです。

 

真実のねじ曲げについての詳細は過去の記事で記載していますので、よろしければそちらをご参照ください。

 

 

neko-chigura.hatenablog.com

 

 

簡単に説明すると、私たちアダルトチルドレンは、幼い頃から毒親から以下のようなメッセージを受け取り続けています。

 

「お前の言うことなんて誰も信じてくれない。」

 

「お前は間違っている。」

 

「家のことについて、よその人に言ったら酷い目に遭わせるぞ。」

 

こういったメッセージを受け取り続けることで、私たちは、

 

「自分の問題について話すこと = 悪いこと」

 

というイメージが刷り込まれます。

 

そしてそれが自分の中の習慣、癖として定着することで周りに助けを求めることができなくなります。

 

なぜ毒親は自分の家のことを周りに話されたくないのか

では、なぜ毒親は家族の問題について、子どもが話すことを禁じるのでしょうか。

 

それは簡単な理屈で、いじめっ子がいじめについて先生にチクられるのを恐れるように、毒親

 

毒親自身の抱える問題が外に漏れることを恐れているから。』

 

です。

 

さらに、なぜ毒親がそのような行動パターンを身につけたか、というと、

 

毒親もまた、その親(つまり私たちにとっての祖父母)から、家族の抱える問題について外に相談できないように支配されてきたから。』

 

です。

 

つまり、そのような自滅的な行動パターンが、祖父母から父母へ、父母から私たちへ、代々と受け継がれてきているのです。

 

そして、その行動の根本に潜んでいるのは恐れの感情です。

 

ここは私見ですが、おそらく機能不全の家族では、幼少期の愛着形成や健全な人間関係の構築がうまくいかないため、条件付きの愛が与えられ、

 

「親にとって都合の悪い行動をすること = すなわち、家族の問題を暴露すること = 親から見捨てられる」

 

などといった思考のパターンがセットされてしまったためではないかと思います。

 

つまり、私たちアダルトチルドレンにとって、問題を暴露するという行動は、親から見放されるという非常に大きな恐怖を伴う行動であるため、なかなか行動に出せないわけです。

 

周りに相談しないとどうなるか

では、そんな私たちが、周りに相談できないままでいるとどうなるでしょうか。

 

周りに相談したり、援助を求めない、というのは、問題を解決する行動を取らない、ということです。

 

問題を解決せずに蓋をするとどうなるか。

 

問題は時間経過とともにどんどん大きくなっていきます。

 

それはこの記事を読んでいただいている方々であれば、これまでの体験からイメージができるのではないでしょうか。

 

家族の問題について、誰にも打ち明けず、自分の中だけで隠し続けようとした結果どうなったか。

 

心身の健康を崩してしまうくらい、抱えている問題は大きくなり、私たちを苦しませ続けているのではないでしょうか。

 

つまり、誰かに相談しない、という行動は私たちを幸せや健全な状態から遠ざける自滅的な行動パターンです。

 

そのことをよく理解することが大切です。

 

相談するためにはどうすればいいか

私たちは、非常に大きな恐怖心から、相談するという行動がうまくとることができません。

 

つまり、私たちが周りに相談できるようになるためには、この「恐怖心」を克服する必要があります。

 

ここからは、私たちが恐怖心を克服して相談できるようにするためにはどうすればいいか、について書いていきたいと思います。

 

相談することにはメリットがあることを理解する

私たちが何らかの行動を選択するとき、それは自分にとってその行動をすることのメリットがデメリットを上回っているためです。

 

無意識かと思いますが、私たちが「相談をしない」という行動をすることにも、実は自分なりのメリットがあるためその行動を自分が選択しているのです。

 

多くの場合、「相談をしない」ことのメリットは、「親を悲しませない」ためでしょう。

 

その点について掘り下げて考えてみましょう。

 

「親を悲しませない」というメリットのために「相談しない」という行動を選択した結果、私たちが得たものは何か。

 

それは、私たち自身が様々な問題を抱え込むようになった、ということです。

 

この選択した行動と、得ている結果について考察することは、正しい行動を獲得するために有効な方法だと、私は考えています。

 

では、私たちが「相談する」という行動を取った時に得られるであろう結果は何でしょうか。

 

それは、「問題が解決に向かう可能性がある」ということです。

 

ただし、それは同時に「親を悲しませたり、逆上させたりする可能性がある。」というデメリットも含まれています。

 

この点についてじっくり考えてみることをお勧めします。

 

問題が解決する、ということは、私たちが幸せで健全な方向へ進むことができる、ということです。

 

愛情に溢れた親であれば、自分の子ども達が健全な方向へ向かうことを望んでくれるはずです。

 

しかし、毒親は別です。

 

私たちを不幸な方向へ、自滅的な方向へ進ませるように仕向けるのが毒親の典型的なやり口です。

 

なので、私たちにとって大切なのは、親の都合ではなく、客観的にみてどの行動が自分にとってメリットがあるのか、ということをよく考えて、理解して、自分なりに納得することです。

 

そのことが次の行動につながります。

 

このことについて、

 

アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法 /西尾和美

 

によると、

『癒しは、まず心の傷を認めて、それを表現していくことからはじまる。』(p89)

とあります。

 

また、

『幸いなことに、いったんトラウマがあったことを認め、癒しの作業をはじめると、さまざまな精神的な症状や問題など、よくない状況から抜け出せることが可能ですし、不健全な人間関係を改善することもできるのです。』(p86)

ともあります。

 

つまり、問題を自分の胸の中だけに隠しておいても、いつまで経っても解決はしません。

 

信頼できる相手を見つける

相談することのメリットについて理解ができたのであれば、次に信頼できる相手を見つけましょう。

 

この「信頼できる人を探す」という行動は、私たちアダルトチルドレンにとって重要なポイントです。

 

なぜなら私たちは、それは私たちが育ってきた環境の中によいモデルがなかったため、健全な人間関係をうまく構築することができず、不健全な人間関係の中で生きている可能性が少なくないからです。

 

相談相手は非常に大切です。

 

もし相談相手がうまく解決に導くことができない人で、相談をしてもうまくいかない、という経験を繰り返してしまうと、

 

「相談しても意味がない。」

 

という考え方や価値観をより強く持ってしまうかもしれません。

 

では、どのように信頼できる相談相手を見つけるか、ということですが、これはなかなか難しいことです。

 

どのような立場にいても、どのような権力を持っていたとしても、信頼できる人もいればそうでない人もいます。

 

医者だから信頼できる訳ではありません、カウンセラーだから信頼できる訳ではありません。

 

お金を持っているから信頼できる訳ではありません、権力があるから信頼できる訳ではありません。

 

例えば、私の地元の精神科医の話をすると、悪気があるのかは分かりませんが、患者を薬漬けにしているような病院もあれば、ほとんど患者の話も聞かず、高額な医療費を請求している病院もあります。

 

医師自体が精神疾患を抱え、まともにコミュニケーションが取れないような病院もあります。

 

結局、どの立場にいても、信頼できる人は信頼できますし、そうでない人はそうでない、ということです。

 

では、どのように信頼できる人を探していくか、という点についてですが、あくまで私見ですが、私の場合は自分の憧れる人にアプローチをかけていく、ということをしました。

 

理由ですが、私の周りの居心地が良くて話しやすかった人、は私と同じような問題を抱えていることが少なくなかったため、問題解決能力が乏しいケースが多かったように思います。

 

なので私は、周りから信頼を得ている人の中で、自分もこうなりたい、けれども、話しかけるには少しハードルが高いかも、と感じる方に相談をかけるようにしました。

 

自分から見て、

 

「この人は今まで何の問題も無くて、ずっと成功してきたんだろうな。」

 

と、いう感覚を覚える人です。

 

ただ、それが必ず当たる、ということはありませんし、自分との相性もあります。

 

相談相手を見つけることは試行錯誤の繰り返しでうまくなっていくと思いますので、一度失敗しても繰り返し、色んな人にアプローチすることが大切だと思っています。

 

勇気を持って相談する

信頼できる相手を見つけたのならば、あとは勇気を持って相談することです。

 

私たちが相談できない根本的な原因が、毒親から植え付けられた「恐怖心」にあるので、この「勇気を出す」というプロセスが一番ハードルが高いはずです。

 

この勇気を出す、という感覚は人それぞれでしょうし、なかなかやり方、というのを伝えるのは難しく感じていますが、私なりの勇気の出し方は、

 

「考えずに飛び込む」

 

「相談せざるを得ない状況に自分を追い込む」

 

といった感覚でしょうか。

 

例えば「どうすればうまく話しかけて、話題を誘導して、自分の相談の話しへ持っていくか」なんて筋書きを考えても勇気は出ません。

 

悩むという行動はとどのつまり恐怖が根っこにあると私は考えるからです。

 

なので、勇気を出すためには思考を振り払って後先考えずに行動することであったり、2人で食事に行く場を設定する、など、やらざるを得ない状況に自分を追い込むことしかないのかな、と私は考えています。

 

どうしても恐怖心が振り払えず、勇気が出せない人へ

行動するためには「恐怖心」を振り払って勇気を持って行動するしかありません。

 

しかし、どうしても恐怖心が振り払えず、行動ができない方もいるかもしれません。

 

そのような方の原因の一つとして、体質的な問題が考えられます。

 

「勇気が出せない = 臆病者」

 

と性格のせいにしてしまうことがあるかもしれませんが、脳のセロトニン系の物質の調整がうまくいかず、不安や恐怖を人以上に過敏に感じてしまうケースもあります。

 

それは性格ではなく器質的な問題です。

 

つまり、臆病なのではなく、脳の構造上どうしても恐怖心を取り除くことが難しい場合もあります。

 

私の場合がそうでした。

 

そういった場合に、心療内科で処方される薬によって、不安や恐怖を抑え、ポジティブな行動を出しやすくする方法があります。

 

その点について、私が心療内科薬物療法を開始して話を過去の記事で掲載しましたので、よろしければそちらの記事もご参照ください。

 

neko-chigura.hatenablog.com

 

勇気を出して相談をした見返りは必ずある

 

アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法 /西尾和美

 

によると、

『誰にも言えなかったことを今日はじめて話すのは勇気がいったでしょう。しばらくの間つらいけれど、話し続けることが大切なのよ。たぶん、話し出したら涙が止まらず、底がないような気がして不安になるかもしれないけど、全部吐き出してしまいましょうね。必ず終わりが見えてくるようになりますから、心配せずいまはただ自分の話を語りましょう。あなたは、癒しの第一歩を踏み出したのよ。』(p 93)

とあります。

 

もし勇気を出して、問題解決に向けて周りに相談することができたのであれば、今まで解決されず自分の中に閉じ込められていた問題が、少しずつ解決の方向へ向かい始めます。

 

ただし、時間はかかります。

 

一瞬で全ての問題が一気に解決される魔法のような方法はありません。

 

けれども、一回の勇気は、確実に自分を良くする方向へ働きます。

 

私は10数年間近く自分の家族の問題と向き合い続けてきましたが、自分の回復に向けて一番重要だった要素は「勇気である」と考えています。

 

それくらい勇気を出した見返りは大きいです。

 

もし今、勇気を出せずに悩んでいる方がおられましたら、この記事を参考に勇気のある一歩を踏み出していただけたら、と思います。

 

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インナーチャイルドを癒す【アダルトチルドレン克服】

 

インナーチャイルドとは

インナーチャイルドとは、

 

アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法 /西尾和美

 

によると、

 

『あなたの中の傷ついた小さな自分のなかの子ども』(p98)

 

とあります。

毒親に育てられた子どもは心に深い傷負った結果、心の成長が止まってしまったり、心の成長が遅れてしまったりします。

 

その自分の中で成長が止まった心の状態を、インナーチャイルド、つまり(大人の)内面に存在する子ども、として表現している、ということです。

 

インナーチャイルドを発見する方法

では、心の成長が止まった、もしくは遅れてしまった人が自分の中にインナーチャイルドを発見するにはどのようにすればいいのでしょうか。

 

この点について、

 

アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法 /西尾和美

 

によると、

 

『からだと心がリラックスしたら、胸のなかに自分自身が子どもである姿を思い浮かべます。何歳ぐらいか。どんな服装をしているか。どんな髪のかたちか。どんな表情をしているか。悲しそうか、楽しそうか。太っているか、それともやせているか。しばらくこの子どもを見守っています。』(p100)

 

とあります。

インナーチャイルドをイメージするときは落ち着ける時間と場所を選ぶ必要があります。

 

ちなみに、私自身もこの作業は行ったことがあります。

 

これは、自然とイメージされる、というよりは、私の場合、意識的に傷ついている子どもがいる、という前提で考えて、「その傷ついている子ども(幼い自分)は何歳くらいで、どんな様子でいるだろう。」とイメージしていった感じです。

 

最初私がインナーチャイルドをイメージした時は、中学生時代の自分が部屋に籠ってうずくまっている姿がイメージされました。

 

これに関して正しいとか、間違っているとか、そういうことは無いと思うので、浮かんできたイメージをそのまま理解するのが良いのかと思います。

 

インナーチャイルドを癒す

インナーチャイルドを思い浮かべることができたら、次はそのインナーチャイルドを癒すプロセスに入ります。

 

アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法 /西尾和美

 

によると、

 

『この子どもにゆっくり、安全に、近寄ってやさしく声をかけてみあす。この子どもがいつも言いたくても言えなかったことがあったら聞いてやります。

「どんなことがあっても、あなたを見捨てたりしせんからね」と、無条件に愛を与えてやり、なにかこのインナーチャイルドが、一緒にしたいことがあるかどうか聞いてみます。しばらくいっしょに遊んだり、話をしてみたりします。』(p100)

とあります。

 

傷ついた子どもを自分の中にイメージし、そのイメージした子どもに対して、あたかも大人が子どもに、親が子どもにするように、声をかけたり、接したりします。

 

私のやってみた感想ですが、確かにインナーチャイルドをイメージした方が自分自身に対して優しい言葉はかけやすくなります。

 

例えば、毒親に育てられた子どもは、自分自身については厳しい言葉を使いますが、自分が好意を持っている相手には、落ち込んでいるときに慰めたり、励ましたり、前向きな言葉をかけることができるのではないでしょうか。

 

そういった、他人を慰めるのと似たような感覚で、インナーチャイルドには声かけができるので、自分自身に対して優しい、前向きな言葉をかけやすい傾向にはあるな、と私は思いました。

 

インナーチャイルドを癒す効果

では、何のためにインナーチャイルドを癒す必要があるか、についてですが、

 

アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法 /西尾和美

 

によると、

 

『この手法は、どんな心の傷を受けて育った人にも役に立ちますが、とくにひどいトラウマを受けて、心の成長が止まってしまっている人に有効です。』(p101)

 

とあります。

ちょっと効果の説明が抽象的ですが、私なりの見解を伝えさせていただくと、過去の記事でも書きましたが、毒親に育てられた子どもは内面に厳しすぎる内面化された親がいます。

 

neko-chigura.hatenablog.com

そして、この内面化された親がインナーチャイルドを責め立てている状態というのが、よく心理学系の本で出てきた気がしますが、過去の親と子ども時代の自分との関りを再現している状態なんだと思います。

 

ちょっと解釈が間違っているかもしれませんが、毒親に育てられた子どもは、大人になってから辛い出来事が起きた時に、目の前の相手に自分の親を投影して、過去の親との関りを再現する、という話が確かあったように記憶しています。

 

このことを内面から説明すると、厳しすぎる内面化された親がインナーチャイルドを責め立てている、つまり自分で自分を責めて苦しんでいる状態なんだと思います。

 

そこを客観視するために、敢えてインナーチャイルドというイメージを自分で作って、そのインナーチャイルドを客観視しながら、自分で自分に優しい言葉や前向きな言葉を

かけることによって、内面化された親に対抗する、というものかと思います。

 

つまり、こういった心の習慣や癖をつけることで、自分の中の自己肯定感を高めていくことに繋がるのだと思います。

 

意識して習慣にすることが大切

インナーチャイルドについての説明は以上です。

 

大切なことは、この作業を1回限りで終わらすのではなく、インナーチャイルドを癒すことを習慣にしていくことです。

 

自分を責めすぎてしまうことは、心に悪い癖や習慣がついているからです。

悪い癖や習慣を修正するためには、それを良い習慣に書き換えることが必要だと私は思っています。

そして、習慣を作るにはある程度の時間が必要です。

 

私自身が毒親からの支配を抜け出すプロセスでいつも自分に言い聞かせていたのは、

 

『変わるには長い時間がかかる。』

『魔法のような方法は無い。』

 

ということです。

 

変わるまでには忍耐が必要ですが、それは不可能ではありません。

どうか、この情報が皆さまの何かしらのお役に立てますように。

 

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【体験記】自助グループ『アダルト・チルドレン・アノニマス(ACA)』に参加してみた

アダルト・チルドレン自助グループに興味があるけれど勇気がなくて参加できない。」

 

自助グループがどんなものか知りたい。」

 

そういった方に向けて、今回私がアダルト・チルドレンの有名な自助グループである「アダルト・チルドレンアノニマス(ACA)」の定期ミーティングに初参加してきましたので、その体験談を書いてみたいと思います。

 

アダルト・チルドレンアノニマス(ACA)」でどのようなことが行われているのか、参加するためにはどうすればいいか、が分かるように書いていきたいと思います。

 

 

自助グループとは何か

 

皆さんは自助グループという言葉はご存知でしょうか。

 

メンタルヘルス関連の自助グループ(じじょグループ、Self Help Group)とは、なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が同様な問題を抱えている個人や家族と共に当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者たちが独立しているというのが特徴的である。
その役割は、このかかわりの中で自ずから問題への取り組みの姿勢や理解の仕方の上で、自己変容的な成長が期待されること、また彼らを取り巻く地域社会との関わり方、受け入れられ方にも変化が出てくることなどがある。』(Wikipedia

 

つまり同じような悩みを抱える方の集まりで、お互いの問題を共有し、解決に向けて情報を共有し合うグループです。

 

アダルトチルドレンには「アダルト・チルドレンアノニマス(ACA)という自助グループがあります。

以前からどんなグループなのか気にはなっていましたが、今回当該グループのオンラインミーティングに初参加してみましたので、その体験談を書いていこうと思います。

 

もし、自分と同じような悩みを持つ仲間を作りたい、とか、自助グループに興味があるけれど勇気が出なくて参加できない、という方がいましたら参考にしていただけたら、と思います。

 

アダルト・チルドレンアノニマス(ACA)とは

アダルト・チルドレンアノニマス(ACA)のホームページによると、

ACA(アダルト・チルドレンアノニマス)は、子供の時期をアルコホリズムやその他の機能不全のある家庭で過ごした成人(=アダルト・チャイルド)の自助グループです。
わたしたちは、経験と力と希望を分かち合い、自分たちの共通の問題を解決するために、定期的にミーティングを開いています。

とあります。

 つまり、機能不全の家族で育ち、自分自身に問題を抱えてしまった人の集まりで、お互いの経験や知識を共有し、ともに解決していこう、という目的の団体です。

 主な活動としては定期ミーティングを行っているようです。

 

定期ミーティングとは

 アダルト・チルドレンアノニマスでは全国に約70から80のグループがあり、各々のグループが主催する定期ミーティングがあるようです。

 ミーティングにはオープン・ミーティングとクローズド・ミーティングがあります。

 オープン・ミーティングにはAC本人以外にも、家族、友人、ACの問題に関心を持つ方などが参加することが可能です。クローズド・ミーティングはAC本人だけが参加可能です。また、クローズド・ミーティングには女性専用ミーティングや男性専用ミーティングといった、特定の条件に当てはまる方のみ参加できるミーティングもあるようです。

 

ミーティングへの参加資格及び参加方法

 オープン・ミーティングには原則誰でも参加できますが、クローズド・ミーティングはAC本人に限定されています。ただ、特別自分がACであることを証明する必要はなく、自己申告ベースになってきますので、自分がACであると自覚する人であればクローズド・ミーティングへは参加可能なようです。

 ミーティングへの参加方法としては、アダルト・チルドレンアノニマスのホームページに掲載されている定期ミーティングへの会場へ直接行く方法(予約等は必要ないようです)と、オンラインで開催されているミーティングへ参加する方法があります。

 オンライン・ミーティングへの参加は、ホームページに掲載されているメールアドレス宛に参加したい旨の連絡をすると、運営事務局から参加URLが送られきます。

 ちなみに、私はクローズド・ミーティングのうち、オンラインで開催されるミーティングへ参加しました。ミーティングはZOOMで行われました。

 

ミーティング参加に当たっての注意事項

ミーティングの参加に当たって、運営事務局から下記の通り注意事項が送られてきました。

  1. 録画・録音・撮影いずれも禁止。
  2. ミーティング中のメモ・(Zoom参加用以外の)スマホ操作は禁止。
  3. ミーティングで会った人、分かち合われた内容については他言禁止。
  4. Zoomプロフィール(表示名)をニックネームにして参加する。
  5. ACA所属グループがあれば記入する。
  6. ミーティング中はビデオONでご参加ください。
  7. 個人間情報交換、トラブルについて、ACAは対応しない。
  8. ミーティング内外問わず(ミーティング、食事会、個人関係、勧誘、サービス活動、委員会) プライバシー情報(連絡網、名簿、連絡先交換、メールアドレス、LINE、その他SNS、住所、職種、家族構成、その他) については、各自で管理すること。

 他にも、事前にニックネームの送付が必要、とのことで、案内メールに返信する形で、自分のニックネームを送信しました。

 

ミーティングの概要

  • 開催時間 20:00〜21:30
  • 種類   クローズド・ミーティング
  • 方法   オンライン・ミーティング(ZOOMによる)
  • 参加人数 8人(ホストを含む)
  • 男女比率 男性4人、女性4人
  • 年齢層  おそらく20代〜50代まで

 

ミーティング内容

司会進行について

 ミーティングはまず、ホスト役(50代くらいの男性の方でした)と呼ばれるおそらくACAの運営事務局側の人間が1名おり、その方が司会進行をしてくれます。

 私は入室してからホスト役の方と少し雑談をしたのですが、穏やかな感じの男性の方でした。開催時間になるとその方がミーティングを進めてくれます。

 ちなみに、今回参加したのはホスト役の方を含めて全部で8名だったのですが、最初から参加したのは3名で、残りの方は後から入ってくる、というゆるい感じでした。

 

ACAパンフレットの読み合わせ

 開催時間になると、まず最初にACAが発行している「ミーティング・ハンドブック」というパンフレットの『前文』、『問題』、『解決』という部分を読み合わせしましょう、とのことで読み合わせが始まりました。

 ちなみに、『問題』部分はホームページに掲載されていたので引用します。

機能不全のある家庭で育ったことにより、わたしたちが共通して持っていると思われる特徴

  1. わたしたちは孤立し、人や権威を恐れるようになっていた。
  2. わたしたちは承認を追い求めるようになり、そうしているうちに自分が何であるか分からなくなっていた。
  3. わたしたちは人が怒っていたり、何であれ個人的な批判を耳にしたりすると怯えてしまう。
  4. わたしたちはアルコホーリクになったり、アルコホーリクと結婚したり(両方の場合もある)、あるいはワーカホリックなどの他の強迫的な問題を持つ人を見つけたりして、病んだ「見捨てられ欲求」をみたそうとする。
  5. わたしたちは人生を犠牲者の視点から生きていて、そういう弱さによって恋愛関係や友情関係で人にひきつけられる。
  6. わたしたちは行きすぎた責任感を持っていて、自分のことに気をつかうより他人の心配をする方が簡単にできる。そうすることで例えば、自分の欠点をよく見ないですむ。
  7. わたしたちは人のいいなりにならずに自分の意見を述べると罪悪感を感じる。
  8. わたしたちは刺激に嗜癖するようになっていた。
  9. わたしたちは愛を哀れみと取り違え、自分が “哀れみ” “救える” 人を “愛する” 傾向がある。
  10. わたしたちは悪夢のようだった子ども時代から感情を抑え込んできて、そうするとひどく傷つくので、自分の感情を感じることや表現することが出来なくなっていた(否認)。
  11. わたしたちは自分のことを厳しく裁き、自己評価が非常に低い。
  12. わたしたちはとても依存的になっていて、見捨てられることを怖れ、見捨てられる痛みの感情を経験しないですむように、人との関係が切れないようにするためになら、どんなことでもしようとするほどだ。その痛みの感情は、わたしたちにとって情緒的に不在だった病んだ人たちと、一緒に生きてきたことから受け取ったものだった。
  13. わたしたちは、自ら行動する人ではなく反応する人である。
    これは特徴を述べたものであって、非難ではない。 (ACAホームーページより)

 

 この辺り若干宗教色を感じなくもないですが、まあそんなものか、といった印象でした。読み合わせは大体10分くらいで終わりました。

(ちなみに、ミーティング・ハンドブックは直接ミーティング会場に行って受け取るか、ミーティングに参加したことがある人であれば運営事務局に問い合わせをすると郵送で送ってもらえるそうです。)

 

テーマの設定

 読み合わせが終わると今回のテーマを設定に移りました。

 ホスト役の方から何か話したいテーマはあるか、という質問があり、テーマを募集します。

 今回設定されたテーマは「家族、自分がACであることに気づいたきっかけ、執着、フリー」というものでした。

 ただ、テーマは設定したものの、別段テーマに沿って話す必要は無いようで、テーマを利用したければテーマに沿って話し、他に話したいことがある人は自由に話していい、ということでした。

 

ミーティングの様子

 テーマが設定された後は、1分間考える時間が与えられた後、ホスト役の方が話たい人がいるか募集します。

 立候補者がいればその人から話しますし、特にいなければホスト役の方が話す人を指名して、その人が話しをするという形式でした。ただ、話す内容が無かったり、話したくない、ということであればパスしてもいい、とのことでした。

 ちなみに、ホスト役の方は司会進行のみ行い、自らが体験談等を話すことはしません。

 今回参加したのはホスト役の方を除くと7名ですが、私以外立候補した人はおらず、全員ホスト役から指名されて、話しをはじめる、といった感じでした・・・。

 偏見かもしれませんが、ACの自助グループというのもあって消極的というか、受け身の人が多いのかな、という印象は持ちました。

 

話す時、聞く時のルール

 まず、話す時のルールですが、最初に自己紹介的なことをします。「ACの◯◯(ニックネーム)です」のように名乗ってから話をスタートします。

 若干戸惑ったのが、ニックネームを名乗ると参加者の全員が「◯◯さーん」と呼びかけてくれます。正直「ん?」という感じでした。ただ、呼びかけに答える必要もないようで、その後淡々と自分の話をすればいい感じでした。

 話す時間は自由だそうです。ただ後述しますが参加者からのリアクションや質問は一切無いため、一方的に話すのにも限界があり、10分話せれば長い方なんではないかと思います。

 聞くときのルールですが、上述したように話す人がニックネームを名乗ったら「◯◯さーん」と呼びかけるようです。ただ、私はこの感じになれなかったので呼びかけることができませんでしたが・・・。

 そして、話し手の話しは黙って聞くこと、話しに関して意見や批判、質問をすることは禁止されているようです。

 なので、話し手は一方的に話たいことを話して、聞き手はただ黙って聞いている、といった感じです。

 

話された内容

 参加者のことや発言内容について他言することは禁止されていますので、内容を書くことはできませんが、大体テーマに沿って話しをした人が半分、テーマ関係なく自分の今考えていることや感じていること、困っていることを話している人が半分、といった感じでした。

 私は全員に向けて自分のことを説明するのだ、と思っていたので、全体に向けて話しをした感じだったんですが、全体的な雰囲気を見ると、悩みや今考えていることを一方的に話している人が多かったイメージです。

 今回私が参加したミーティングではパスした人はいませんでしたが、別にパスしても全然問題無さそうな雰囲気でした。

 

ミーティング終了後

 全員が話し終わってちょうど良い時間になると、ホスト役の方が締めに入ります。

 締めには再度ミーティング・パンフレットの読み合わせがあります。そしてACAに関して疑問点などがあれば言ってくださいということで、質問の募集がありました。

 その後、ACAの各グループからのお知らせ(主に定期ミーティングに関すること)があり、最後に献金の募集がありました。

 ちなみに献金はしてもしなくても自由で、今回は会計係がいないとのことだったのでその場での募集はありませんでしたが、通常はミーティングの最後に献金の募集があるようです。

 一通りのお知らせが終わるとミーティング終了になりました。

 

体験してみた感想

 まだ一回しか参加していませんので、もっと継続して参加しなければ効果の程は分かりませんが、とりあえず参加してみた感想を書いてみようと思います。

 

参加者について

 詳細については他言禁止されていますので書くことができませんが、参加者を見て思ったのは当然のことなんですが、私と似たような境遇や考え方の人もいれば、違う問題を抱えている人もいるんだな、ということです。

 そして、似たような境遇の人の話は「ああ、なるほど」と感じるのですが、そうでは無い人の話はいまいちピンと来ない、というか、家庭環境が複雑すぎて想像できない、というか、そういった部分もありました。

 ただ、例えば自分の父親くらいの年齢の強面の男性の方が「高圧的な人が怖い」という話しを聞いたりすると、こういう人でも恐怖を感じているんだな、と自分の中の理解が深まるような部分もありました。

 

ミーティングについて

 上述しましたが、ミーティングは話し手が一方的に話すのを、聞き手がただ黙って聞く、という形式でした。

 思ったのは、個人的な体験を話して、それを嘆き悲しむプロセスをしている人が多いのかな、といった印象でした。

 個人的にはACの問題の解決に向けてもっと情報交換をしたい、という気持ちもありましたし、話し手が話す内容について聞きたいことも結構あったので、正直もっとコミュニケーションがとれるといいな、と思ったので物足りなかったです。

 そして、話しを聞くことについても、ほとんどの時間を他の参加者の話しをただ黙って聞くということに使っていましたので、退屈だった、というのが正直な感想です。

 

ミーティングの活用方法について

 ミーティングの活用方法についてですが、例えば自分の問題について、誰にも話すことができない人であるとか、話すことに慣れていない人が話す練習の場として使うのには良いのかもしれない、と思いました。

 様々な年齢や見た目の方が同じような体験を語ってくれますので、雰囲気的には話しやすいと思いますし、他の人が話している内容や、表現から自分が当てはまる言葉や話し方のヒントが見つかる可能性はあるな、と思いました。

 特にオンライン・ミーティングは敷居的には低い、と言いますか、人と直接対峙せずに話すことができますので、話す練習には良いと思います。オンライン・ミーティングで話す練習をして、慣れてきたら実際の会場に足を運んで話してみる、というのでも話す練習にはなると思います。

 個人的にこうできればいいな、と感じたのは、ミーティングの参加者の中に自分と合いそうだな、という人を見つけて、その人と知り合いになることです。

 個人間の情報交換は自己責任ということになっているので、何回もミーティングに参加して、できれば直接会場に足を運んで、自分が合うと思う人に話しかけにいって、信頼関係を気づいて個人的な関係作りをしていくのがいいかな、と思いました。

 そうすれば、同じような悩みを抱える友人ができますし、もっと自分にとって密度の濃い相談や情報交換をできるのではないか、と思いました。

 

全体的な感想

 ACの問題というのは人によって環境も問題も様々ですし、今回は初回の体験談でしたのでまだなんとも言えない感じですが、ひとまずミーティングに参加してみて思ったのは、情報交換をする訳でもないし、アドバイスをもらえる訳でもないので、積極的に問題に解決していこうという感じの集まりでは無かった、ということですね。

 なので、ここに参加して積極的に状況を良くしていきたい、とか、問題を解決したい、と思っているのであれば少し期待外れになってしまうかもしれません。

 この集まりに期待できることとしては、話す練習ができる、だとか、同じような境遇の人の話を聞ける、だとか、自分の行動次第では自分と似た環境や問題を抱える友達がでいる、と言ったところではないでしょうか。

 ただ、今回はまだ1回目でしたし、ミーティングにも色々と種類があるようですので、今後また他の集まりにも参加してみて感想であったり、自分の考え方の変化であったりをブログに綴っていければ、と思います。

 

 

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本当に欲しいものにチャレンジする【アダルトチルドレン克服】

「本当はやってみたいことがあるんだけれど、自分の柄では無いのでチャレンジできない」

 

「友達になりたい人がいるんだけど、私なんかと友達になってくれるのだろうか、と考えてしまって勇気が出ず声をかけられない」

 

そういう経験ってよくありますよね。

 

毒親に育てられた子どもであればネガティブな感情が人と比べて強いので、人一倍そういった経験をしてきたのでは無いでしょうか。

 

今回は、私の体験談として、私がどのように自分が本当にしたいことにチャレンジできるようになったかを書いていきたいと思います。

 

今となって思うのは、本心でない選択に対して、人は本気になることはできない、ということです。

もし一歩が踏み出せず悩んでいる方がおられましたら、私の体験談も参考に勇気を持って一歩を踏み出すきっかけを掴んでいただけたら、と思います。

 

昔の私は自分のしたいことにチャレンジできなかった

これまでの私の選択といえば、例えば、

 

部活は兄がやっていたからと言う理由でテニスを選びました。

大学と仕事は知名度で選びました。

人間関係は、自分を受け入れてくれる人、と言いますか、自分と仲良くしてくれる人、自分が話せる人とだけ付き合っていました。

 

決して悪い選択では無いのかもしれませんが、私の内心で、

 

「本当はバンドをやってみたい」

 

「本当はあの人と友達になりたい」

 

という思いを感じることが多々ありました。

そういう思いがありながら、無意識にその気持ちに蓋をして、無難というか、自分にとってリスクの少ない選択ばかりをしていたな、と思います。

 

なぜやりたいことにチャレンジすることができなかったのか

私が自分が本当にしたいことにチャレンジできなかった理由は、やはり、幼い頃から自分のしたいことを親に否定され続けた影響は大きかったのではないか、と思います。

 

小さい頃「野球をしたい」と言った時には、親から「お前には無理だ」と言われさせてもらえませんでした。

 

「友達と遊びたい」と言った時も、母親がやっていた宗教の関係で「宗教の人以外と遊ぶんじゃない」と言われました。

 

高校時代、初めて告白された時も、親から「世の人(宗教以外の人を世の人と母親は言います)と遊ぶんじゃない」と言われました。

 

他にも思い返すと色々な出来事がありますが、今となって考えると、我が家では息をするように否定的な言葉が飛び交っていたな、と思います。

 

こういった環境に長い期間晒された結果、親の考えや価値観が私の内面に根付き、自分が本当にしたいことに蓋をする癖がついていたんだと思います。

 

自分の中に根付いた親の価値観に対抗する

この点については、過去の記事で書きましたが、幼い頃に親から受けた言葉、考え方、価値観は私たちの中に根を張り、成長するとともに自分の中に取り込まれていきます。

 

neko-chigura.hatenablog.com

neko-chigura.hatenablog.com

 

そして、親の価値観や考え方が自分の中に内面化されていくプロセスについては、子ども時代の私たちにとっては、多くの場合抵抗することができません。

それほどに子どもにとっての親というのは絶対的に強い存在で、私たち子どもはどんなにおかしな親であったとしても、親に抗うことが困難です。

 

しかし、大人になってからは違います。

自分の考え方や価値観を疑い、それを自分にとって利益のあるものに書き換えることができます。

 

自分の心の声に真剣に耳を傾けて、紙に書き出してみること

自分の本心に忠実になるためには、やはり自分の心の声、つまり「〇〇したい」という気持ちに真剣に向き合ってみる、と言いますか、その声をきちんと拾ってあげることが大切だな、と感じます。

 

私の場合、自分が本当にしたいと思うことと向き合おうとすると、自然発生的に恥ずかしい、だとか、どうせ無理、だとかそういった感情が湧いてきて、自分の願望に蓋をしてしまうことが癖になっていました。

 

そこで私は、一人で落ち着ける時間に、自分の本心を紙に書き出して、言葉にして表現する、ということをしました。

この時の私なりのポイントは、自分の願望がどんなに恥ずかしいと思うことであったり、こんなこと考えてはダメだと思うことであっても、きちんと書き出す、ということです。

 

言葉として表現することは大切だ、と感じていて、特にその恥ずかしいと感じることであったり、無理だと思っていることの中に、自分の本当に欲しいものが隠れていることが多いです。

なので、どんなにチープな言葉であっても、ダサいと思う言葉であっても、大切な自分の一部だと考えて、表現してあげることが次に繋がってくると思っています。

 

ネガティブな感情を整理して、正しく状況を理解する方法

最初に願望を紙に書き出した後は、願望に対して湧き上がってくるネガティブな感情についても、紙に書き出すことをお勧めします。

 

例えば私は、異性と付き合うことを自分自身で禁じていた時期が長い期間ありました。

その時私が考えていたことは、大体下記のようなものです。

 

「私は人と付き合うべきではない」

 

「私と付き合うと不幸になる」

 

「どうせうまくいくはずがない」

 

等々。

 

なぜ紙に書き出すか、というと、ネガティブな感情の中には真実ではないことが含まれていて、ネガティブな感情についてじっくり検証することで、その嘘を見抜くことができるからです。

 

例えば、今回の私の例でいうと、私が考えていたネガティブな考えの中にある嘘は

 

「人と付き合ってはいけない人なんていない。」ということであったり、

 

「うまくいくかどうかは付き合ってみないと分からない」ということであったりします。

 

つまり、真実ではない不安を理由に私は行動をしていないことになります。

 

ネガティブな感情については、少し面倒ですが紙に書き出して、何が真実で何が真実でないかを検証する時間を取ると、状況を理解しやすくなると考えています。

 

毒親による真実のねじ曲げを見破る

では、なぜこのような真実ではないネガティブな感情を信じて、私が異性を付き合うことを禁止していたか、というと、幼い頃の親との関わりまで遡ると理由が分かります。

 

大人になった自分が異性と付き合うことを禁じていることと、幼い頃の親との関わりを結びつけて考えることにはひょっとしたら抵抗があるかもしれません。

 

ただこれは理解しておいてもらった方が良いな、と思うのですが、もし自分が自滅的な行動パターンをを獲得しているのだとしたら、基本的には幼い頃の親との関わりを疑った方が良いと思います。

 

私の場合は幼い頃から親にやりたいことを否定され続けてきたこと、特に母親から「宗教以外の人と付き合うんじゃない」、「異性と付き合うなんてダメだ」と言われ続けてきた言葉が自分の内面に根付いて、それが今現在異性と付き合ってはいけない、という考え方や行動に繋がっていたんだと思います。

 

つまり、私が異性と付き合ってはいけない理由は、私が異性と付き合うと、当時の母親にとって不都合だったからです。

 

母親にとって優先すべきは宗教でした。

なので、私が異性と付き合う、ということは母親が自分の子供を宗教に連れていくという最優先事項の妨げになるため、異性と付き合うことがまるで悪いことかのように自分の子供に刷り込んだのです。

 

これは機能不全の家族で育った人であれば覚えておいて欲しいのですが、毒親は子供を自分の都合よくするために、真実のねじ曲げを行います。

そして、子供は親に対抗する手段を持っていないため、親が間違っているにも関わらず、あたかも子供が間違っている、もしくは、悪いことをしたかのように真実をねじ曲げます。

 

ねじ曲がった真実は、子供の内面に根付き、成長した後も自分の価値観として確立されてしまうため、自滅的なパターンの行動を獲得してしまいます。

 

今回私が異性と付き合うことを自分に禁じていたことも同様のケースです。

このことを念頭に、もし自分が自分にとって損になる行動パターンを身につけているのであれば、それをして喜ぶのは親ではないのか、と疑ってみることをお勧めします。

 

親を疑うというのは悪いことをしているような気持ちになるかもしれませんが、真実を理解することは正しい行動を獲得するために重要なことだと思いますので、勇気を持って疑ってみることをお勧めします。

 

思いつく限りの案を出し、その中で最善と思えるものを選ぶ

自分の自滅的な行動パターンと、ネガティブな感情の中に嘘を見つけたのであれば、次にすることは自分にとってどう行動するのが良いかを考えることです。

 

この時にお勧めしたいのは、最初に思いつく限りの案を出し尽くすことです。

 

この案はちょっと、と思うものでも良いので、とにかく多くの案を考えるのが良いと思っています。

 

そして、案を出し尽くしたら、その中で自分にとって一番良いと思うものを一つ選ぶことです。

 

この時に意識して欲しいのは、感情に左右されずに選ぶ、ということです。

 

ネガティブな感情でポジティブな行動を抑制している場合、根底には「嫌な思いをしたくない」という気持ちが必ずと言っていいほど隠れています。

 

私のケースだと、行動できない本当の理由は「異性と付き合うために行動して断れるのが怖い」とか「失敗するのが嫌」という理由だったりします。

だから嫌な思いをしないために、ネガティブな感情でポジティブな行動に蓋をするのです。

 

ですので、選択肢を選ぶ時のポイントは「自分が嫌な思いをしたとしても、自分にとって良い結果をもたらす可能性が高いもの」を選ぶことです。

 

最後は勇気を持って実行する

最善と思える選択肢を選んだ後は勇気を持って実行することです。

 

ありきたりな表現ですが、言うは易し行うは難し、です。

 

今回の例はイメージが湧きやすいのではないかと思いますが、「告白しなければ付き合えない」と分かっていても、実行するのはなかなか難しいものです。

 

とどのつまり、自滅的なパターンの多くは「失敗するのが怖くて、行動することができない」ために起こると思っています。

そして、理解していて欲しいなと思うことは、案外気づいていないケースも多いのではないかと思うのですが、失敗を恐れて行動しないと事態はもっと悪くなっていく、ということです。

 

私の例では、告白しなければ断られることはありませんが、その代わりいつになっても異性と付き合うことができず、苦しみ続けなければならない、ということです。

 

結局勇気を持って行動しなければ状況は良くならないのに、勇気を出せないためにネガティブな感情という真実のねじ曲げで行動しないことを正当化して、何もしようとはしないのだと思います。

 

だから、やるべきことは勇気を持って実行をすることです。

 

勇気の出し方

とは言いつつ、勇気が出せないから多くの方は困っているんだと思います。

 

勇気の出し方、については具体的な提案をするのが難しいな、と感じているのですが、私なりに意見をまとめてみたいと思います。

 

まず、勇気を出すにはやっぱり勢いです。「えいっ」とやってしまう、考えるより先に行動してしまう、後先を考えない、そんな感じのイメージです。

 

そういった状況に自分を追い込むことも勇気を出しやすくするポイントかもしれません。

 

例えば、私が毒親と対決するために電話をしようとした時は、1時間近く携帯を握ったまま電話がかけられませんでしたが、発信ボタンを押す直前のところまで操作しておくと、最終的に「えいやっ」で電話をかけることができました。

 

やっぱり個別のケースを思い浮かべてみても、考えるより先に、と言いますか、とにかく考えないようにして、行動してしまうこと、勇気を出さざるを得ない状況に自分を追い込むことが勇気を出しやすくするポイントかと思いました。

 

他のケースを考えると、よくユーチューバーなんかが、渋谷でポイ捨てを注意する動画がバズっていたりしますが、そうやって、自分が勇気を出すことと収益が発生すること、などを関連づけられると、勇気を出しやすくなるかもしれません。

これは私も実践しようと思ってまだそのシステムが構築できていないので、自分でも実践してみたいと思っています。

 

勇気を出すことができたら、それが例え失敗でもメリットがある

勇気を出せずになかなか行動できない、という人に覚えておいて欲しいな、と思うことがあります。

それは、勇気を出すことができたら、例えそれが失敗であったとしても大きなメリットがある、ということです。

 

まず、勇気は出せば出すほど、次に勇気を出すときのハードルが下がります。

ハードルが高いのは最初に勇気を出す時です。

例えば、一度告白する勇気を出せたのであれば、次に告白をするときはもっと勇気を出しやすくなりますし、行動もうまくなります。

 

そして、私たちは大抵「失敗」というものを恐れて勇気を出せないことが多いですが、勇気を出したのなら、例え失敗しても自分にとって大きなメリットがあります。

それは、勇気を出せた、という自身が自分につくことです。

 

私がした残念な失敗はいくつもありますが、例えば、ブルースのセッションがしたい、と思い立ち、いきなりセッションバーへ行ったことがあるのですが、私は訳の分からないままステージに上がらさせられ、何も演奏できずただ突っ立っていただけで、周りの空気を氷つかせてしまったことがあります。

 

あの時は自分も居た堪れない状況になり、目も当てられない感じで帰ってきましたが、不思議と「不安に負けず行動できた」という自信にはなりました。

 

同様のケースは他にもあります、思い出しても苦い気持ちになる経験はいくつもありますが、勇気を出した失敗は、必ずその後自分の糧になると考えています。

 

なので、もし失敗することへの恐れから行動できない人がいたら、騙されたと思って勇気を持って行動してみることをお勧めします。

 

言うは易し行うは難し、であることは重々承知していますが、きっと皆さんの人生を良い方向へ導くきっかけになると思います。

 

 

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精神科、心療内科への受診について〜【アダルトチルドレン克服】

毒親に育てられた子どもが精神疾患を抱えていることは少なくないと思います。

 

ただ、精神科や心療内科の受診については抵抗を覚える方が多いのでは無いでしょうか。

 

「メンタルに不調を抱えているように感じるけれど、病院に行くのは抵抗がある。」

 

「周りの人にどう思われるだろうか。」

 

「考え方や性格の問題だから、病院に行ったって変わらないと思う。」

 

そう考える人は少なくないと思います。

 

結論から言いますと、私の場合、10年近く性格や考え方の問題と捉えて、どれだけ努力しても改善されなかった人付き合いの悩みが、SSRIという薬物を服用することで、一気に改善されました。

 

この経験から、努力だけではどうしようもないけれど、医学の領域で治療可能な部分がある、と理解しました。

 

今回は私が心療内科を受診した話をしたいと思います。同じような苦しみを抱える方の参考になれば、と思います。

 

目次

 

考え方や行動を変えることで人間関係を改善することは可能

 あくまで私の経験上の話ですが、自己啓発本や心理学系の本を読み、自分の考え方や行動を変えることで、昔の自分に比べると大きく人間関係を向上させることができました。

 

 例えば、昔の私は、大学の3年生頃からうまく人間関係を構築することができなくなり、大学院へ進学した時はクラスに溶け込むことが全くできなくなってしまいました。

 就職をしてからも同期との関係をうまく築けず、飲み会や集まりを避けるようになりました。数ヶ月間研修施設に缶詰だった初任者研修は私にとってまさに地獄でした。

 

 ちょうどその頃、機能不全の家族で育った子どもは、その後の精神的な発達に遅れが生じ、それが人間関係の構築を難しくさせている、という内容の本を読み、自分が毒親に育てられたのだ、と自覚しました。

 その後、スーザンフォワードの「毒になる親」等のアダルトチルドレン関連の本を読んだり、自己啓発本を読み漁ったりして、自分の考え方や行動を変える努力をしました。

 

 私は会話や笑顔の練習をし、勇気を振り絞って職場の人に話しかけたり、嫌な気持ちを押し殺して飲み会を企画したり、遊びを企画したりしました。

 ネガティブな発言や態度を意識的に避け、ポジティブな言動を心がけました。

 

 その結果、自分がチャレンジした行動に比例して人間関係は改善されていきました。その経験から私が学んだことは、嫌なことにあえて取り組むことで結果が出るのだ、ということでした。そしてそれは多くの自己啓発本の内容と一致していたため、私はそれが正しいのだ、と信じ努力を続けました。

努力だけで苦しみを無くすことはできなかった

 しかし、努力をし続けて気付いたことがありました。それは、私の場合、どれだけ努力を続けても人付き合いが楽にならない、ということでした。

 初対面の人や、慣れない場面で緊張する、というのは誰しもそうだと思いますが、私の場合、どれだけ場数を踏んでも慣れる、ということがありませんでした。

 確かに努力した分人間関係は改善されましたし、私に好感を持ってくれる人は増えました。しかし、どれだけ仲良くなっても私は人といるのが苦痛でした。毎回緊張し、それを考えても自分にメリットはあまりないと分かっていても、「うまく振る舞うことができるだろうか」、「うまく話すことができるだろうか」と不安になり、他の人は気にしないようなことでも、少しでもうまくいかなかったと感じることがあると「相手を不快にさせたのではないか」、「もっとうまく振る舞えたのではないか」といった考えがグルグルと頭の中で繰り返されました。

 

 周りの信頼できる人に相談をすると、大抵「周りはそんなに気にしていないので気にする必要はない」といった内容の回答をもらえて、確かに自分でもそうだ、と思うのですが、なかなかこの思考が消すことができませんでした。

 

 ただ、行動しなければ人間関係は崩れてしまう、と考えていたので、そういった不安や嫌な気持ちを抑えて、感情に流されず、自分が最善と思う行動を取れるよう常に心がけていました。

 

 しかし、私に転機が訪れたのは、急に大きな仕事が職場に舞い込み、今までと事態が一般して職場が激務になった時でした。私は過労と精神的なストレスで仕事に行けなくなってしまい休職に追い込まれました。

 過労が大きな要因だったのですが、休職に追い込まれて私が最初に感じたことは「もう人とは関わりたくない」、「もう人とは話したくない」ということでした。

 

心療内科を受診して体質の問題であることが分かった。

 私は休職をするために心療内科を受診しました。当然仕事による過労で受診したのですが、今まで感じていた悩みを聞いてみる良い機会だと思って、これまで私が感じていた人間関係の悩みについて先生に話をしました。

 そしてその時、先生から言われたのは、

 

「社交不安障害かもしれない。」

 

ということでした。

 専門的なことは分かりませんが、社交不安障害とは脳内物質(主にセロトニン)の調整がうまくいかず、不安を過敏に感じてしまう体質であるため、社交的なやりとりが必要な場面でうまく振る舞うことができない、というものだそうです。

 先生から資料をいただき読んでみると、確かに当てはまる項目がいくつもありました。そして先生によると、「不安には薬がよく効くので、自分に合った道具を見つけた、と思って一度薬を飲んでみるのはどうか」と勧められました。

 そこから私はSSRIという脳内のセロトニンの量を調整する薬をいただき、服用することにしました。

 

長年の悩みが薬物療法によって解決した

 正直最初は半信半疑でした。本当に薬で不安が減るのか、そもそも不安が減ったところでこれまで20年近く悩んできた人間関係の問題が改善されるのか、全くイメージができませんでした。

 しかし、私は自分が機能不全の家族で育ったと自覚してから10年近く、人一倍自分を変えるために努力してきたつもりでした。

 正直、あの時はこれ以上どう考え方を変えて、どう努力すれば状況が改善されるのか光が見えず、お手上げ状態でしたので、藁にもすがるような気持ちで先生の助言を受け入れました。

 ただ、社交不安障害という疾患名を知り、薬物療法を初めて思ったのは「もしこれが体質的な問題であったのであれば、私がいくら努力しても状況が改善されなかったことが腑に落ちる」というものでした。

 

 最初の数週間は特に変化を感じませんでしたが、私が変化を感じたのは大体1ヶ月程経ってからでした。

 それは自宅のインターネットの機材の調子が悪くなった時に、業者へ連絡した時のことでした。よくあることですが、当たったのが若手の社員で態度の悪い対応を取られました。

 いつもの私でしたら、相手が若手で接客マナーが未熟と頭で理解できても、なぜか動悸がしてしまい、胸が詰まった感じがして、声が震えてしまいます。そして、そういった身体の反応を抑えて冷静を装うのに必死になり、うまく話せないことが多いのですが、その時は一瞬嫌な感じは覚えるのですが、動機もせず、胸も詰まらず、声も震えず、自分の話したい内容をスラスラとスムーズに話すことができました。

 電話が終わった後、自分でも「あれ?」と思いました。こんなに話すのって楽だったっけ、と。そして、それから色々な場面でうまく話せるか試してみたくなり、社交的な場面でうまく話せるか試してみたところ、いつも感じていたネガティブな感情(主に不安)が、私の感覚で言うと100分の1くらいに小さくなっており、非常に楽に社交的な場面で振る舞えるようになっていました。

 その時に私は確信しました。今まで私が悩んでいた問題は考え方や行動を変える、といった努力だけでは解決できない問題で、医学的な治療が必要であったのだ、と。

 

努力に限界を感じている人は精神科、心療内科への受診も検討してみるべき

 毒親に育てられた子どもは様々な問題を抱えています。そしてその状態は人によって様々です。比較的軽い問題で収まっている人もいれば重い問題を抱えている人もいるでしょう。

 問題を抱えていても環境に恵まれているためうまく適応できている人もいるでしょうし、そうではない人もいるでしょう。

 ですので、今自分が問題を抱えている、と感じている方は、様々な解決方法を試してみるべきだと私は思います。

 精神科や心療内科への受診に抵抗を覚える人もいるでしょう。自力でなんとかしたいと思う人もいるでしょう。私もそうでした。悩みを抱えながらも、自力でなんとかしたい、と考えていましたし、人一倍自分を変えるための努力をしてきたつもりです。

 しかし、今の私が過去の私に言いたいのは、もっと早く心療内科を受診すればよかったね、ということです。私の努力に意味が無かったとは決して思いませんが、もっと早く心療内科を受診していればもっと早く悩みから解放されていたのにな、と思います。

 心療内科を受診することはまだまだ抵抗のある世の中だと思います。けれども、私は大切なのは自分がどれだけ幸せに暮らせるか、ということだと思います。ひょっとしたら、医学的な治療を施すことで、あなたの長年の悩みが一気に解決するかもしれません。

 私の場合、もし心療内科を受診しなければ一生耐え難い不安に苦しみ続けなければならなかったのかもしれません。不安や恐怖の原因を自分の弱さに求め、多くの時間を自己啓発本を読んだり自分を変えることに費やし続けなければならなかったかもしれません。

 それが薬を飲むことで過度の不安から解放され、悩むことや自分を責めることに使っていた時間を、自分の家族や大切な人、自分のしたいことのために使えるのようになるのだとしたら、私は喜んで薬を飲むことを受け入れようと思っています。

 万人に医学の治療が有効かどうかは分かりませんが、もしあなたが悩みを抱えていて、心療内科の受診に踏み出せずにいるのであれば、一度勇気を出して受診してみることをお勧めします。行動をしなければ何も変わりませんが、行動をすれば何かしらの変化があります。受診した結果効果がなければ別の方法を試せばいいだけです。

 

 私の経験が同じような悩みを抱える人の参考になれば幸いです。

 

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内面化された親に対抗する「行動面からのアプローチ」【アダルトチルドレン克服】

 前回の記事では、毒親に育てられた子どもが厳しすぎる「内面化された親」を持っていること、そしてそれが私たちの精神面に与える影響、および、内面化された親に対抗する方法を一部紹介しました。

 

neko-chigura.hatenablog.com

 今回は、「内面化された親」が与える行動面での影響とその対抗方法について説明したいと思います。

 

 

行動面での影響

 「内面化された親」の影響は単に精神面のみにとどまるものではありません。

 スーザン・フォワードの「毒になる親」の言葉を一部拝借すると『人間にはまずもとになる「考え」があり、つぎに人との関係による「感情」が生じ、その結果「行動」が起こ』ります。

 つまり、「内面化された親」により植え付けられた「考え」により、ある特定の「感情」が生じ、ある特定の「行動」が生み出されます。そして、概してその「行動」パターンは私たちを良い方向へは導かず、自分を悪い方へ導く自滅的な行動パターンとなります。

 スーザン・フォワードによるとこれらの「行動」のパターンは「服従」と「反逆」のふたつのカテゴリーに分けられると言います。つまり誰かに対して自分を犠牲にして過度に服従してしまうことや、逆に相手に過度に反発して結果的に自分が損をするような行動をどうしても取ってしまうような場合は、このパターンに当てはまると思われます。

 では、私たちがこういった自滅的な行動パターンを身に着けてしまったときにどのように自分の行動を改善すればよいでしょうか。

 

行動面からのアプローチ

 私が考えるアプローチ方法としては、前回の記事で説明した精神面からのアプローチに加え、行動面からのアプローチというものがあると思っています。

 スーザン・フォワードの言葉から「内面化された親」の問題は大きくふたつに分けられ、それはつまり、

  1.  特定の「考え方」や「感情」を持つこと。
  2.  その結果、特定の「行動」パターンが生まれること。

です。

 精神面からのアプローチは前者に対するアプローチであり、行動面からのアプローチは後者に対するアプローチということになります。

 行動面からのアプローチは、自分が陥っている自滅的な行動パターンについて理解し、考え方や感情を変えるのではなく、行動を変えるように働きかける、ということです。

 この点について、心理学者ウィリアム・ジェームズの有名な言葉に

『楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。』

とあります。

 自己啓発本などではよく出てくる言葉で、試したことが無い人は一度実践してみていただきたいのですが、例えばどこかへ遊びに行って、あまり楽しいと感じなかった時に、試しに嘘でもいいので笑ってたり、楽しそうに振舞ってください。コツは、思い切ってやることです。恥ずかしがって縮こまってしまうとうまくいきません。

 人間不思議なもので、楽しいふりをしているだけで気持ちが本当に楽しくなってくることがあります。毎回とは言いませんが、かなりの確率でなります。

 他にも、例えば仕事などで自信が無い時に、嘘でもいいので内心の不安を隠して自信があるふりをしてみてください。すると、かなりの確率でうまくいきます。

 そして、ふりがうまくなると、気持ちの方もふりに合わせて前向きになってきます。

 

私が嫉妬心を克服した例

 この行動面からのアプローチ方法について、個人的な体験なのでいち参考として捉えていただきたいのですが、私が嫉妬心を克服した時の経験を過去の記事で書きましたのでリンクを貼っておきます。

neko-chigura.hatenablog.com

変わるまでには長い時間がかかる

 厳しすぎる「内面化された親」とは私たちが機能不全の家族に育った結果、私たちの中に根付いた考え方の癖であり、その結果引き起こされる自滅的な行動パターンもまた、私たちの癖として私たちの中に染み付いているものです。

 例え、誤った考え方や行動パターンが自分の中にあることが理解できたからといって、それがすぐに改善されることはありません。

 よくネット上の広告などでアダルトチルドレンに関する問題でさえ「すぐに結果が出ます」と言ったような謳い文句を見ることがありますが、基本的にそういうことは無い、と私は考えています。

 長い期間をかけて根付いた癖は、それ相当の期間をもって改善していかなければ対処することは難しいです。

 この点について、

 

 7つの習慣ファミリー [ スティーブン・R・コヴィー]

 

には、

『竹は種を蒔くと最初の四年間は土のなかで根を張ります。表面は何事も起こっているように見えません。ところが五年目になると一気に二十五メートルも伸びるのです。人生はこの竹の成長に似たことがあります。』(p26)

とあるように、自分が変わった、と感じるまでには長い間じっと変化のない期間を忍耐する必要があります。

 魔法のような言葉も魔法のような方法もありません。しかしじっと忍耐し、自分を変える努力をし続ければ、いつか変わる時が来ると思っています。そしてそれは、特別な人にしかできない努力ではなく、誰にでも実現可能、再現可能な努力です。

 ですので、ひとつひとつ着実に、自分の行動と考え方を見つめなおし、それを地道に修正していく作業を続けていきましょう。

 

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