毒親に育てられた子供が幸せな家庭を築くまで

私はいわゆる毒親に育てられた子どもです。その影響から長い間辛い人生を歩んできました。けれど、そんな私も結婚し、負の連鎖を起こすことはしないと決意しました。現在では妻と長男と幸せな家庭を築いています。私の経験が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。

感情が無いと感じている方へ【アダルトチルドレン克服】

前回のブログで私が毒親に育てられたと自覚するまでのストーリーについてお話ししました。

 

neko-chigura.hatenablog.com

 

毒親から離れる決意をした私は、毒親と接する機会が無くなったことから、かなりストレスが軽減されました。

 

 ただし、毒親から離れたからといって自分にとって全ての問題が解決する訳ではありません。毒親に育てられた子どもは、感情を毒親に支配されています。今回は、感情が無い、もしくは、自分の感情が分からない、という方に向けて私が毒親から自分の感情を取り戻した経過について紹介させていただければ、と思います。

 

目次

なぜ自分の感情が分からなくなってしまうのか

この点について、

 

毒になる親 / スーザン・フォワード

 

にはこのように述べられています。

『セラピストの助けなしには自分の深い感情をさぐることができない人も多いが、そういう場合でもその人の感情は無くなっているのではなく、どこにしまい込んだかわからなくなっているだけなのである。』(p212)

『自分の自然な感情を心の奥深くに埋めてしまうことに慣れてしまった人は、まずそれを掘り起こして、自分の感情というものに馴染む必要がある。』(p212)

 つまり、感情は無くなってしまった訳ではなく、感情を抑圧し過ぎた結果、本来の自分の感情が分からなくなってしまった状態を、「感情が無い」と感じているということです。

 私の場合もそうですが、家族から常に否定的な言葉を浴びせられた結果、家族といる時には自分を表現しない、ということを幼心に決意し、嬉しかろうが悲しかろうがそれを表に出すことはなく、ただただ不機嫌な態度を取っていました。

 それをあまりにも長期間に渡って続けてしまっため、自分本来の感情が分からなくなってしまったのです。 

 

自分の感情を掘り起こすには

 おそらくこの記事を読んでくださっている方は、自分の感情が無い、と感じ、日々漠然とした辛さを抱え、その辛さをなんとかしたい、と思っている方がほとんどでしょう。

 それは非常に大切な感覚で、「毒になる親」によると、

『いずれにせよ、どのような方法を取るにしても、自分の「感情」をはっきり認識することなしに、これより前に進むことはできない。』(p213)

とあり、この点について私も同感しています。

 では、どのように自分の感情を認識するか、についてですが、私の場合はノートに自分の気持ちを書くことから始めました。それは日記ではなく、過去の自分の辛かった出来事を思い起こし、その出来事に対して、「何が起きて、自分はどのように感じ、どうして欲しかったのか」を書くようにしました。

 最初は難しいものでした。それまで自分の気持ちを表現することを自ら抑圧してきたので、そもそも表現する言葉を自分の中に持っていないこともありますし、心理的抵抗感からペンが全く進まなかったことを覚えています。

 例えば「私は、中学校の定期テストで良い成績を取った時、母から『お前は頭が良くなったので私のことを馬鹿にしているんだろう』と言われて悲しかった、本当は母に褒めてもらいたかった。」こういった内容のことを書いていたんですが、両親に対する憎しみが強かったことから、「母親になんか褒めてもらいたくもない。」と心が騒ぎ始め、ペンが進まなかったり、自分の感情が上手く掴めなかったことを覚えています。

 そんな時に役立ったのは、「毒になる親」に記載されている次の方法です。

『自分の感情がはっきり自覚できない人は、自分の親と同じような人間を親に持った人はどのような感情を抱くだろうか、と他人事のように想像してみるのも良いだろう。』(p212)

 この方法は私にとっては比較的効果的で、私の場合、私の好きな人や好意を持っている人が私の立場に置かれたとしたらどのように感じるだろう、と考えて書くことにしました。

 ただ、違和感はありました。「確かにあの人ならこのように感じるかもしれないが、それは本当に私の気持ちなんだろうか」と思うことが多々ありました。けれど、多少の違和感は仕方ないものと諦めて、とにかく書く作業を続けました。

 そして、その書くという作業を続けていくと、表現力も増え、段々と自分の感情を書くことが上達してきました。

 それだけではなく、例えば飲み会で会話の話に入れなかった時など、以前は「くだらない」などと考え、不快になり不機嫌になるだけでしたが、「あ、自分は今傷ついている、本当はみんなの輪に入りたいんだ」と自然に言葉が出てくるようになりました。

 

感情を掘り起こすだけでは不十分

 文字として書き起こすことで自分の感情を認識できるようになった私ですが、それだけでは不十分でした。感情は認識するだけでなく、外に対して表現できるスキルが必要です。

 この感情表現を獲得することは私にとってさらに難しいことでした。今まで感情を抑圧し続けてきた私にとって、自分が嬉しい時に嬉しいと表現し、悲しい時に悲しいと表現することはとても恐ろしいことでした。そして、恐怖以上にそもそもどう表現していいか分からない、というのもありました。

 

練習すれば何事も上手くなる

 どのように感情表現すればいいか分からない私が実践したことは、まず誰もいない環境で一人で練習することでした。そしてこの練習にもかなりの心理的抵抗が伴いました。

 最初は車の中で笑う練習、悲しむ練習、喜ぶ練習、などをしていたのですが、ほぼ100%知り合いに見られる可能性がない場所へ車で移動したにも関わらず『こんなところを誰かに見られたらどうしよう』という考えが頭をよぎり、一人でも練習をすることができませんでした。けれどもその心理的抵抗を何とか抑え、練習するようにしました。

 この点に関して、世界的に有名な自己啓発本である

 

7つの習慣 人格主義の回復 [ スティーヴン・R.コヴィー ]

 

には、次のような勇気づけられる言葉が述べられています。

『意識的に努力すれば必ず人生を高められるという事実ほど、人を勇気づけるものが他にあるだろうか。ーヘンリー・デイヴィッド・ソロー』(p74)

  実際ここで述べられている通りで、私が自分の感情を掘り起こしたのと同様、感情表現についてもある程度繰り返し練習することにより、ある程度感情表現事態が自分に馴染むようになってきました。

最後は勇気を出すしかない

 感情表現について、練習をすることである程度の表現方法を獲得することはできますが、練習と実践は全く別物です。練習で上達してきたからといって、それが人相手に自然に実践できるようになるか、というとそうではありませんでした。

 1人で練習するのと、実際に人と対峙して実践するのは全く別物です。そして、人相手に今までに自分になかった行動パターンを実践するのは勇気が必要です。

 これに関してはどれだけ練習を積んだとしても恐怖がなくなることはないと思っています。最後は勇気です。

 私もこれに関しては失敗と小さな成功を繰り返しながら進んだと思います。そんなに上手く段階を踏めた訳でもありませんが、なるべくこの人であれば受け止めてくれるだろう、という人を選んで実践した記憶があります。

 そうしてある程度の期間繰り返していくうちに、私は自分の感情の掘り起こしてと感情表現ができるようになった、と思っています。