自分の感情を感じ、感情表現を獲得するまで【アダルトチルドレン克服】
前回の記事では、自分が毒親の被害者である、ということを自覚して、私が自分の感情の一部を取り戻した方法についてお書きしました。
私にとって親に対する怒りを正常に感じ取ったことは大きな前進でしたが、そこはまだスタートラインにすぎませんでした。
そこからの道のりは実に長いものでした。
今回は、私が自分の感情を取り戻し、どのように感情表現ができるようになったのかをお伝えします。
まず、私が困っていたのは、自分の感情が分からないということもありましたが、同時に感情表現ができない、という点もありました。
感情を感じ取ることができるけれど、心理的抵抗が大きくそれを表現することができなかったのです。
否定的な扱いを受けて育った私は、親の前では楽しくても笑顔は見せたくなかったので笑わず、悲しんでいても悲しんでいる姿を見られたくないので悲しまず、とにかく無表情で常に不機嫌な態度を出していました。
そうするとどうなるか。
感情を出さないというのが癖になってしまうのです。
私は生まれつき感情が無かったわけではありません。
小さい子供は誰しも感情表現豊かなものであり、人から愛される性質を持っているので、それに違わず私もそうでした。
私の感情は後天的に出なくなってしまったのです。
私は多くの場面で楽しくても笑うことができず、悲しくても悲しさを表現することができませんでした。
心理的ブロックがかかるのです。
それは私にとって、とても苦しく、ストレスが溜まることでした。
しかし、感情表現をしたり、自分を出したりすることは、すなわち毒親からの否定を誘因する要因になるため、私は自分を守るために自分を出さない必要があったのです。
ただし、それは毒親以外の場面ではマイナスに働きます。
周りから「何を考えているか分からない」と何回も言われました。
自分が感じている感情と、実際にしている言動が一致していないからでしょう。
楽しいはずなのに笑えない、悲しいはずなのに「別に」という態度を取る、嬉しいのに嬉しくなさそう等々。
私に悪気はないのですが、私と関わる相手は混乱していたと思います。
こういった出来事は辛い出来事ですが、毒親に支配されていた時は、この辛さにすら蓋をしていたのです。
ただ、毒親と自分の気持ちと向き合い、自分の怒りに気付き始めた頃から、
「あ、今、私はこの状態を辛いと思っている」
ということがぼんやり認識できるようになっていました。
そこから私がさらに自分の気持ちへの理解を深めるために実践した方法は自分の気持ちを紙に書きだす、という作業です。
私は今起きている辛いことについて自分がどう感じたのか、そしてどうして欲しかったのかを紙に書きだしました。
例えば、
「私は、今日友人と一緒に遊びに行ったが、会話に混じれずさみしい思いをした。本当はもっとみんなと一緒に楽しく会話したかったのに。」
「私は、会社の上司にひどいことを言われて傷ついた。私は私なりに努力をしたのに。」
等です。
さらに、加えて行ったのが、これは確か「毒になる親 一生苦しむ子供」に書いてあったと思うのですが、
過去に起きたつらかった出来事に対しても同じように気持ちを書き出しました。
「本当は運動部に入りたかったのに、母親が宗教に行かせることを強要したせいで、運動に入れなくて悲しかった。」
「父親と母親が喧嘩ばかりしていた。父も母も兄も、自分を否定するような言葉をたくさん浴びせられてとても悲しかった。もっと仲良くしたかった。」
「本当は学生の時に告白された人と付き合ったり、自分から告白して付き合いたかった相手もいたけれど、母親に禁止されていたため交際できなかった。とても残念だった。」
等々。
今となっては簡単に文章に書き表すことができますが、以前は全くできませんでした。
毒親に支配されていた時は、そのように感じることはできませんでした。
考え方も感情もいわゆる洗脳されているような状態だったと思います。
辛い時、気持ちを書こうと思っても、何を書いていいか分からず、また心理的抵抗が大きく、言葉が出てこないのです。
なので、最初は自分の気持ちにしっくりくる言葉が出ず、全く文章が書けませんでした。
自分は何が辛いのか、どうしたいのか、書くことができません。
心の中にその場面は思い浮かんでいるんですが、言葉にできない、というかしたくないというか、とにかく筆が進まないのです。
書いては消し、書いては消しを繰り返していました。
ただ、とにかく書くようにしました。
しっくりこなくてもいいから、とにかく最後まで書き出します。
それでも言葉が思い浮かばないときは、自分と同じような状況に自分の友達が陥っていたとしたらどう感じるだろう、ということを想像して書いたりもしました。
最初の頃に書き上げたものは、自分で書き上げながら恥ずかしくて読み返すのも抵抗がありました。
例えば、自分の声をボイスレコーダーで録音して聞いたことがある人であれば、最初はかなり違和感じたのではないでしょうか、場合によっては聞きたくないと思ったことはないでしょうか。
ちょうどそんな感じだったと思います。
これが本当に自分が感じている気持ちなんだろうか、と違和感を感じるのです。
ただ、とにかく書き続けました。
そうすると、ある程度日数が経ってくると、だんだんスムーズに文章が書けるようになってきました。
あ、こういう出来事があった時は、こういう文章を書くとしっくりくるな、というのがわかるようになってきました。
表現のバラエティも増えました。
そうしてその作業を続けていくと、実際に自分の気持ちや感情を掴むのがうまくなってきます。
気持ちと文章が馴染む、といった感じでしょうか。
そうすると、実際につらい場面に遭遇した時、例えば飲み会でうまく話せなかった、友達と遊びに行ったけどうまく馴染めなかった、
そういう時に、
「あ、私はうまく馴染めなくて寂しい、と感じており、もっとみんなと仲良く話したいんだな」
と感じ取ることができるようになります。
毒親から自分の感情を取り戻さなければならない理由はここにあります。
この、自分がどう感じているか、そして、自分がどうなりたいか、を素直に表現できなければその後のステップに繋がりません。
感情を取り戻す前の私は、今となってはトンチンカンな考えですが、
「うまくいかないのは勉強が足りないからだ」とか、
「もっと強い男にならないと」とか、
そういった考えが真っ先に頭に浮かび、頑張って資格の勉強をしたり、運動や筋トレをしたり、そんな感じのことをしていました。
それは間違ったこととは言いませんが、私は寂しくてみんなと仲良くしたいのに、資格の勉強をしたところで、私の真の目的が達成されるか、というとおそらくあまり効果的ではないでしょう。
私は寂しい、私はみんなと仲良くしたい。
こう感じて初めてみんなと仲良くするにはどうすればいいんだろう、という考えに至ります。
みんなと仲良くするためには、おそらく資格の勉強をするよりも、自分の気持ちを表現したり、自分の話をしたり、人に興味を持ったり、話の聞き方を身に付けたり、そういったことができるようになる努力をした方がより効果的に私の希望に近づけるでしょう。
こうして私は自分がどうなりたいか、を長い時間を見つめなおし、そして、なりたい自分になるためにはどうすればいいか、を考え実践に移すことにしました。
ここから私の行動と、私の周りに起こる出来事や反応が少しずつ変わっていくのですが、その話については次の記事で書こうと思います。