本当に欲しいものにチャレンジする【アダルトチルドレン克服】
「本当はやってみたいことがあるんだけれど、自分の柄では無いのでチャレンジできない」
「友達になりたい人がいるんだけど、私なんかと友達になってくれるのだろうか、と考えてしまって勇気が出ず声をかけられない」
そういう経験ってよくありますよね。
毒親に育てられた子どもであればネガティブな感情が人と比べて強いので、人一倍そういった経験をしてきたのでは無いでしょうか。
今回は、私の体験談として、私がどのように自分が本当にしたいことにチャレンジできるようになったかを書いていきたいと思います。
今となって思うのは、本心でない選択に対して、人は本気になることはできない、ということです。
もし一歩が踏み出せず悩んでいる方がおられましたら、私の体験談も参考に勇気を持って一歩を踏み出すきっかけを掴んでいただけたら、と思います。
- 昔の私は自分のしたいことにチャレンジできなかった
- なぜやりたいことにチャレンジすることができなかったのか
- 自分の中に根付いた親の価値観に対抗する
- 自分の心の声に真剣に耳を傾けて、紙に書き出してみること
- ネガティブな感情を整理して、正しく状況を理解する方法
- 毒親による真実のねじ曲げを見破る
- 思いつく限りの案を出し、その中で最善と思えるものを選ぶ
- 最後は勇気を持って実行する
- 勇気の出し方
- 勇気を出すことができたら、それが例え失敗でもメリットがある
昔の私は自分のしたいことにチャレンジできなかった
これまでの私の選択といえば、例えば、
部活は兄がやっていたからと言う理由でテニスを選びました。
大学と仕事は知名度で選びました。
人間関係は、自分を受け入れてくれる人、と言いますか、自分と仲良くしてくれる人、自分が話せる人とだけ付き合っていました。
決して悪い選択では無いのかもしれませんが、私の内心で、
「本当はバンドをやってみたい」
「本当はあの人と友達になりたい」
という思いを感じることが多々ありました。
そういう思いがありながら、無意識にその気持ちに蓋をして、無難というか、自分にとってリスクの少ない選択ばかりをしていたな、と思います。
なぜやりたいことにチャレンジすることができなかったのか
私が自分が本当にしたいことにチャレンジできなかった理由は、やはり、幼い頃から自分のしたいことを親に否定され続けた影響は大きかったのではないか、と思います。
小さい頃「野球をしたい」と言った時には、親から「お前には無理だ」と言われさせてもらえませんでした。
「友達と遊びたい」と言った時も、母親がやっていた宗教の関係で「宗教の人以外と遊ぶんじゃない」と言われました。
高校時代、初めて告白された時も、親から「世の人(宗教以外の人を世の人と母親は言います)と遊ぶんじゃない」と言われました。
他にも思い返すと色々な出来事がありますが、今となって考えると、我が家では息をするように否定的な言葉が飛び交っていたな、と思います。
こういった環境に長い期間晒された結果、親の考えや価値観が私の内面に根付き、自分が本当にしたいことに蓋をする癖がついていたんだと思います。
自分の中に根付いた親の価値観に対抗する
この点については、過去の記事で書きましたが、幼い頃に親から受けた言葉、考え方、価値観は私たちの中に根を張り、成長するとともに自分の中に取り込まれていきます。
そして、親の価値観や考え方が自分の中に内面化されていくプロセスについては、子ども時代の私たちにとっては、多くの場合抵抗することができません。
それほどに子どもにとっての親というのは絶対的に強い存在で、私たち子どもはどんなにおかしな親であったとしても、親に抗うことが困難です。
しかし、大人になってからは違います。
自分の考え方や価値観を疑い、それを自分にとって利益のあるものに書き換えることができます。
自分の心の声に真剣に耳を傾けて、紙に書き出してみること
自分の本心に忠実になるためには、やはり自分の心の声、つまり「〇〇したい」という気持ちに真剣に向き合ってみる、と言いますか、その声をきちんと拾ってあげることが大切だな、と感じます。
私の場合、自分が本当にしたいと思うことと向き合おうとすると、自然発生的に恥ずかしい、だとか、どうせ無理、だとかそういった感情が湧いてきて、自分の願望に蓋をしてしまうことが癖になっていました。
そこで私は、一人で落ち着ける時間に、自分の本心を紙に書き出して、言葉にして表現する、ということをしました。
この時の私なりのポイントは、自分の願望がどんなに恥ずかしいと思うことであったり、こんなこと考えてはダメだと思うことであっても、きちんと書き出す、ということです。
言葉として表現することは大切だ、と感じていて、特にその恥ずかしいと感じることであったり、無理だと思っていることの中に、自分の本当に欲しいものが隠れていることが多いです。
なので、どんなにチープな言葉であっても、ダサいと思う言葉であっても、大切な自分の一部だと考えて、表現してあげることが次に繋がってくると思っています。
ネガティブな感情を整理して、正しく状況を理解する方法
最初に願望を紙に書き出した後は、願望に対して湧き上がってくるネガティブな感情についても、紙に書き出すことをお勧めします。
例えば私は、異性と付き合うことを自分自身で禁じていた時期が長い期間ありました。
その時私が考えていたことは、大体下記のようなものです。
「私は人と付き合うべきではない」
「私と付き合うと不幸になる」
「どうせうまくいくはずがない」
等々。
なぜ紙に書き出すか、というと、ネガティブな感情の中には真実ではないことが含まれていて、ネガティブな感情についてじっくり検証することで、その嘘を見抜くことができるからです。
例えば、今回の私の例でいうと、私が考えていたネガティブな考えの中にある嘘は
「人と付き合ってはいけない人なんていない。」ということであったり、
「うまくいくかどうかは付き合ってみないと分からない」ということであったりします。
つまり、真実ではない不安を理由に私は行動をしていないことになります。
ネガティブな感情については、少し面倒ですが紙に書き出して、何が真実で何が真実でないかを検証する時間を取ると、状況を理解しやすくなると考えています。
毒親による真実のねじ曲げを見破る
では、なぜこのような真実ではないネガティブな感情を信じて、私が異性を付き合うことを禁止していたか、というと、幼い頃の親との関わりまで遡ると理由が分かります。
大人になった自分が異性と付き合うことを禁じていることと、幼い頃の親との関わりを結びつけて考えることにはひょっとしたら抵抗があるかもしれません。
ただこれは理解しておいてもらった方が良いな、と思うのですが、もし自分が自滅的な行動パターンをを獲得しているのだとしたら、基本的には幼い頃の親との関わりを疑った方が良いと思います。
私の場合は幼い頃から親にやりたいことを否定され続けてきたこと、特に母親から「宗教以外の人と付き合うんじゃない」、「異性と付き合うなんてダメだ」と言われ続けてきた言葉が自分の内面に根付いて、それが今現在異性と付き合ってはいけない、という考え方や行動に繋がっていたんだと思います。
つまり、私が異性と付き合ってはいけない理由は、私が異性と付き合うと、当時の母親にとって不都合だったからです。
母親にとって優先すべきは宗教でした。
なので、私が異性と付き合う、ということは母親が自分の子供を宗教に連れていくという最優先事項の妨げになるため、異性と付き合うことがまるで悪いことかのように自分の子供に刷り込んだのです。
これは機能不全の家族で育った人であれば覚えておいて欲しいのですが、毒親は子供を自分の都合よくするために、真実のねじ曲げを行います。
そして、子供は親に対抗する手段を持っていないため、親が間違っているにも関わらず、あたかも子供が間違っている、もしくは、悪いことをしたかのように真実をねじ曲げます。
ねじ曲がった真実は、子供の内面に根付き、成長した後も自分の価値観として確立されてしまうため、自滅的なパターンの行動を獲得してしまいます。
今回私が異性と付き合うことを自分に禁じていたことも同様のケースです。
このことを念頭に、もし自分が自分にとって損になる行動パターンを身につけているのであれば、それをして喜ぶのは親ではないのか、と疑ってみることをお勧めします。
親を疑うというのは悪いことをしているような気持ちになるかもしれませんが、真実を理解することは正しい行動を獲得するために重要なことだと思いますので、勇気を持って疑ってみることをお勧めします。
思いつく限りの案を出し、その中で最善と思えるものを選ぶ
自分の自滅的な行動パターンと、ネガティブな感情の中に嘘を見つけたのであれば、次にすることは自分にとってどう行動するのが良いかを考えることです。
この時にお勧めしたいのは、最初に思いつく限りの案を出し尽くすことです。
この案はちょっと、と思うものでも良いので、とにかく多くの案を考えるのが良いと思っています。
そして、案を出し尽くしたら、その中で自分にとって一番良いと思うものを一つ選ぶことです。
この時に意識して欲しいのは、感情に左右されずに選ぶ、ということです。
ネガティブな感情でポジティブな行動を抑制している場合、根底には「嫌な思いをしたくない」という気持ちが必ずと言っていいほど隠れています。
私のケースだと、行動できない本当の理由は「異性と付き合うために行動して断れるのが怖い」とか「失敗するのが嫌」という理由だったりします。
だから嫌な思いをしないために、ネガティブな感情でポジティブな行動に蓋をするのです。
ですので、選択肢を選ぶ時のポイントは「自分が嫌な思いをしたとしても、自分にとって良い結果をもたらす可能性が高いもの」を選ぶことです。
最後は勇気を持って実行する
最善と思える選択肢を選んだ後は勇気を持って実行することです。
ありきたりな表現ですが、言うは易し行うは難し、です。
今回の例はイメージが湧きやすいのではないかと思いますが、「告白しなければ付き合えない」と分かっていても、実行するのはなかなか難しいものです。
とどのつまり、自滅的なパターンの多くは「失敗するのが怖くて、行動することができない」ために起こると思っています。
そして、理解していて欲しいなと思うことは、案外気づいていないケースも多いのではないかと思うのですが、失敗を恐れて行動しないと事態はもっと悪くなっていく、ということです。
私の例では、告白しなければ断られることはありませんが、その代わりいつになっても異性と付き合うことができず、苦しみ続けなければならない、ということです。
結局勇気を持って行動しなければ状況は良くならないのに、勇気を出せないためにネガティブな感情という真実のねじ曲げで行動しないことを正当化して、何もしようとはしないのだと思います。
だから、やるべきことは勇気を持って実行をすることです。
勇気の出し方
とは言いつつ、勇気が出せないから多くの方は困っているんだと思います。
勇気の出し方、については具体的な提案をするのが難しいな、と感じているのですが、私なりに意見をまとめてみたいと思います。
まず、勇気を出すにはやっぱり勢いです。「えいっ」とやってしまう、考えるより先に行動してしまう、後先を考えない、そんな感じのイメージです。
そういった状況に自分を追い込むことも勇気を出しやすくするポイントかもしれません。
例えば、私が毒親と対決するために電話をしようとした時は、1時間近く携帯を握ったまま電話がかけられませんでしたが、発信ボタンを押す直前のところまで操作しておくと、最終的に「えいやっ」で電話をかけることができました。
やっぱり個別のケースを思い浮かべてみても、考えるより先に、と言いますか、とにかく考えないようにして、行動してしまうこと、勇気を出さざるを得ない状況に自分を追い込むことが勇気を出しやすくするポイントかと思いました。
他のケースを考えると、よくユーチューバーなんかが、渋谷でポイ捨てを注意する動画がバズっていたりしますが、そうやって、自分が勇気を出すことと収益が発生すること、などを関連づけられると、勇気を出しやすくなるかもしれません。
これは私も実践しようと思ってまだそのシステムが構築できていないので、自分でも実践してみたいと思っています。
勇気を出すことができたら、それが例え失敗でもメリットがある
勇気を出せずになかなか行動できない、という人に覚えておいて欲しいな、と思うことがあります。
それは、勇気を出すことができたら、例えそれが失敗であったとしても大きなメリットがある、ということです。
まず、勇気は出せば出すほど、次に勇気を出すときのハードルが下がります。
ハードルが高いのは最初に勇気を出す時です。
例えば、一度告白する勇気を出せたのであれば、次に告白をするときはもっと勇気を出しやすくなりますし、行動もうまくなります。
そして、私たちは大抵「失敗」というものを恐れて勇気を出せないことが多いですが、勇気を出したのなら、例え失敗しても自分にとって大きなメリットがあります。
それは、勇気を出せた、という自身が自分につくことです。
私がした残念な失敗はいくつもありますが、例えば、ブルースのセッションがしたい、と思い立ち、いきなりセッションバーへ行ったことがあるのですが、私は訳の分からないままステージに上がらさせられ、何も演奏できずただ突っ立っていただけで、周りの空気を氷つかせてしまったことがあります。
あの時は自分も居た堪れない状況になり、目も当てられない感じで帰ってきましたが、不思議と「不安に負けず行動できた」という自信にはなりました。
同様のケースは他にもあります、思い出しても苦い気持ちになる経験はいくつもありますが、勇気を出した失敗は、必ずその後自分の糧になると考えています。
なので、もし失敗することへの恐れから行動できない人がいたら、騙されたと思って勇気を持って行動してみることをお勧めします。
言うは易し行うは難し、であることは重々承知していますが、きっと皆さんの人生を良い方向へ導くきっかけになると思います。